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【後藤伸おすすめ!】日本近代文学の生みの親!?時代を切り拓いた文学者・二葉亭四迷をご紹介します!

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時代の変わり目に颯爽と現れた文学の救世主!?今回は、江戸から明治へと時代が移り、さまざまな物事が変わりつつあったそんな時代に登場し、今日に至るまでの日本の文学・小説の世界のスタートアップとなる土台を築き上げた文学者・二葉亭四迷をご紹介します。彼の存在なくして、日本の小説は語れません!!



二葉亭四迷って誰それ?美味しいの?】

皆さんは、二葉亭四迷という名前を今まで聞いたり、目にしたりしたことはありますか?おそらく初めて知った、という読者の方も大勢いらっしゃるのではないでしょうか。

 

それもそのはず、二葉亭四迷は現代の日本ではほとんど忘れ去られた存在と言われても仕方がありません。目先の利益や快適さばかりを求めるあまり、温故知新を忘れた現代日本のなせる愚行ですね。

しかし、実は二葉亭四迷現代日本にとっても非常に重要な役割を果たしていた人物なのです。

 

まず、二葉亭四迷生きた明治時代・大正時代は、自由民権運動大正デモクラシーなど、それまでの武士や貴族が支配的だった日本社会から、いわゆる一般庶民たちの存在が大きくなり、少しずつ現代日本の姿に近づいていく時代でした。

 

また、産業や文化も、西洋文明を積極的に取り入れることで、大きく変わりはじめました。文明開花、大正ロマン、という言葉があるように、激動の時代だったわけですね。

 

それでは、そんな時代を駆け抜けた二葉亭四迷のプロフィールをご紹介します。

二葉亭四迷は、1864(元治元)年に生まれ、明治時代末期の1909(明治42)年に45歳の若さで亡くなった、文学史上に大きく名を刻む文学者です。

 

東京・市ヶ谷出身の彼は、急速に近代化する都市の中で育ち、やがて日本に近代文学の概念をもたらしたとして知られる『小説神髄』の坪内逍遥に師事します。そして文学者としての活動を広げていくことになります。

 

そして1886(明治19)年に『小説総論』、その翌年に言文一致体の『浮雲』を発表します。この時、まだ23歳の若さです。

そしてこの『浮雲』こそが、二葉亭四迷の代表作であり、かつ当時の文学状況にとって革新的な役割を果たすことになりました。

 

その後も東京外国語学校(現・東京外国語大学)教授になったり、大阪朝日新聞社に勤務したりするなど、キャリアを積み重ねていきます。また、新聞に小説を連載し、ロシアの文豪・ツルゲーネフの作品を日本語に翻訳するなど、多彩な活動を行っていくことに。

 

そんな二葉亭四迷ですが、堪能なロシア語を活かしてロシアに赴任することになるのですが、その帰国途中、ベンガル湾で死没してしまいました。

45歳という若さで亡くなってはしまいましたが、それでも彼が日本の近代文学に与えた影響は計り知れません。

 

それでは実際に、次章で彼が日本の近代文学に与えた影響と、当時の背景についてご紹介します。



二葉亭四迷が起こした革新的ムーブメント、言文一致運動ってなに?】

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この章では、前章でご紹介した二葉亭四迷の功績、歴史的にも文学的にも衝撃のムーブメント・言文一致運動についてご説明します。

 

言文一致運動とは、簡単に言うと、「書き言葉と話し言葉を一致させよう」という運動のことです。

当時は、口で話す時の言葉と、文章に書く言葉はまるで違うものでした。具体的には、書き言葉が「〜〜で候」のような漢文調だったのです。平安時代の貴族や武士たちが繰り広げる栄枯盛衰を描いた『平家物語』のような文体、といえばイメージしやすいかもしれませんね。そして明治時代にはすでに、そんな風に話す人はいなかったようです。

 

言文一致運動が広まった背景には、日本が西洋の文明を取り入れるなど、文明開花の時代となった明治・大正時代になって、教育が普及しはじめ、読み書きができる人々の階層が広がったことが挙げられます。

 

それまでは、読み書きというのは一部の限られた階層が身につけることがほとんどだったのですが、大正デモクラシーに代表されるような民主化・近代化のビッグウェーブの中で、一般庶民も教育を受ける機会が急増していったのです。

 

平安時代などの古典文学作品を見ても、『枕草子』の清少納言や、『源氏物語』の紫式部など、貴族やその家族、もしくはその貴族に仕える身分として宮中(天皇や皇后など、皇族がお住まいになる御所のこと)に出入りしている人物の作品ばかりが残っていますよね。もっとも、当時は書かれていて、現代まで残っていないというだけかも知れませんが()

 

さて、読み書きのできる人々が急増していった大正・明治時代。それ自体は喜ぶべきことなのかもしれませんが、ここで一つ、ちょっとした問題がありました。

この時代、まだ漢字の正しい使い方というものが国によって定められていませんでした。そのため、言葉に漢字の読みを当てはめて表記する、いわゆる当て字文化が盛んになったのです。

 

たとえば

氷菓子」を似た音の「高利貸し」と読み替え、アイスクリームに高利貸しという字を当てる、などと言った「シャレ」が流行しました。

音を漢字に当てて表記することもあった当時、文学界の言文一致運動のリーダー的存在だった二葉亭四迷。実は彼のこの名前も、ある言葉の当て字だと言われています。なんだか分かりますか?

二葉亭四迷、という筆名も、「くたばってしまえ」という言葉の音から取られたと言われています。ね、面白でしょう?

 

それでは、いよいよ次章で二葉亭四迷の代表作をご紹介します!

 

【新しい時代を切り拓いた、文学界のフロントランナー・二葉亭四迷!その作品と意義を考察します!】

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さて、時代の背景や言文一致について説明したところで、改めて二葉亭四迷の作品と、彼の活動の意義をご紹介したいと思います。

彼の代表作。それはなんといっても『浮雲』です!

日本の近代文学を切り開いた文学者とも言える二葉亭四迷ですが、その代表作「浮雲』は現代でも、文学を学ぶ人々にとっては重要な意味を持つ、バイブルのような存在なのです。

 

あらすじはとっても簡単です。

主人公・内海文三が、下宿先の従姉妹・お勢に英語を教わるうち、次第に好意を寄せていきます。しかし恋で頭がいっぱいになり、仕事をクビになるほどに。

そんな中、お勢の前に文三の元同僚・本田が現れます。要領がよく、エリートコースを歩んでいた本田は、お勢のもとへ通うようになり、徐々に親しさを増す二人。そんな二人の様子に、なすすべなく不安に駆られていく文三……

 

ざっくり言ってしまうと、「三角関係の恋愛もの」ですね。余談ですが、明治〜昭和初期にかけての名作というのは、ほとんどが「三角関係の恋愛」を描いたものだといえます。夏目漱石の『三四郎』『それから』『門』の三部作や武者小路実篤の『友情』などが男女の三角関係を描いた作品としては、特に有名ですね。もちろん、エロスの魔術師・谷崎潤一郎でいうと『卍』という異色の衝撃作もありますよ…!

 

当時、それだけ恋愛というのは人々の関心が高く、生きる上で非常に大切なものだったということが窺えますね。

そしてストーリーはもちろん、なんといっても注目すべきなのは……そうです。言文一致体で書かれた文章そのものです。当時、こうした話し言葉で文章が書かれることは非常に稀で、読者に大きな衝撃を与えました。

 

そして、その後、有名な文豪・夏目漱石森鴎外なども言文一致体の作品を数多く発表し、いつしか言文一致体で書かれる文章が日本のスタンダードになっていったのです……

 

もし二葉亭四迷が存在せず、言文一致運動が成功しなかったとしたら、今でも話し言葉と書き言葉には大きな違いがあるままでした。もしそうだったとすると、書き言葉を使いこなせる人は一部のエリート層だけですから、素人に毛が生えた程度の才能しかないライターが書いたような無数のブログや広告記事などは生まれることもなかったのです。

 

もちろん、とりとめのない個人の思いつきを発信するSNSも、文章を書けるのが限られた人々だけだったら、これほどまでに盛り上がることもなかったはずです。

そうです!我々の享受しているネット記事やSNSは、言文一致運動なくして存在しなかったのです!

そう考えてみると、皆さんにも二葉亭四迷の偉大さがご理解いただけるのではないでしょうか。



【まとめ】

いかがでしたか?

今回は歴史的なトピックを扱ったので、少し取っつきにくく感じた方もいたかもしれません。

しかし、知れば知るほど、二葉亭四迷の存在は現代日本にとっても非常に重要なものでしたね。

現代の文章とは少し雰囲気が違いますが、ぜひ一度チェックしてみてください。