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【後藤伸おすすめ】【評判良】二十世紀が認めた!最後の近代文学者!?時代が産んだ最高傑作、中上健次の世界に陶酔すること間違いなし!?

 

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誰かが言ったーーー「読む前と読んだ後とでは自分の存在が、その認識がまるっきり変わってしまうようなもの。それを文学と呼ぶ。ただ自分を安心させてくれるだけの物語は、ただの生ぬるい子供の読み物に過ぎない」

今回は、読む者の魂を掴んで揺さぶり、圧倒せずにはおけない作品を数多く発表しながらも、46歳の若さで夭折した燃える炎のような作家・中上健次についてご紹介します。

 

中上健次、それって誰?】

今これを読んでくださっている方の多くは、もしかしたら中上健次という名前を今まで聞かずに生きてきたかも知れません。それもそのはず、かつては時代の寵児だった中上健次ですが、今では当時ほどの輝きを失いつつある作家の1人なのです。

しかし、世間ではあまり知られてないというだけで、実際のところは、文豪・谷崎潤一郎の文学性を色濃く継承し、『推し、燃ゆ』で芥川賞を受賞した現代の人気女子大生作家・宇佐美りんの「推し」としても知られる、正真正銘の文学者なのです。そんなわけで、本日は、中上健次をご紹介します。

まずはそんな中上健次のプロフィールからスタートです。

 

中上健次、その生い立ちと青春時代】

中上健次は1946年和歌山県の新宮で生まれます。

複雑な血縁関係の中で成長した中上健次は、地元の高校を卒業後、上京。大学に入るための予備校に通う、と嘘をつき仕送りをもらい続け、ジャズやドラッグ、酒やタバコに彩られた青春時代が幕を開けます。

 

ちなみに中上健次は高校時代、フランスの作家、マルキ・ド・サドジャン・ジュネなどを愛読していたそうです。中上健次、どうやら相当に頭がキレる、早熟なおませさんだったようですね。その後もランボーアンドレ・ジッドなど、フランス文学にも精通していきました。

 

その後、羽田空港フォークリフトでの貨物積み降ろしなどの肉体労働に従事しながらも、執筆活動を続けていきます。

 

そして、1976年、30歳のころ、中編小説『岬』で第74回芥川龍之介賞を受賞します!

初の戦後生まれの受賞者としても、注目を集めます。

短編集『岬』の単行本の帯にはこんな惹句が記されていました。

芥川賞受賞作 血の宿命のなかに閉じ込められた若者の、癒せぬ渇望と愛憎。注目の新人の絶唱ともいうべき文学空間!」

 

 

思わず鳥肌が立つほどかっこいいコピーですね。インターネットの普及によって、一億総コメンテーター時代とも揶揄され、誰もが作家になろうとしている現代日本ですが、こんな言葉がふさわしい作家はもう現れないかもしれません。

 

また、中上健次は「岬」発表後、より積極的に自身の故郷や経験を題材として活かし、中上健次の作家人生を代表する3部作、『岬』『枯木灘』『地の果て 至上の時』を完成させます。

 

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中上健次、その素顔に迫るエピソードをご紹介】

作家として着実なスターダムを駆け上っていく、そんな中上健次ですが、私生活はどんな様子だったのでしょうか?

というわけで、この章では、中上健次の魅力を象徴するような、様々なエピソードをご紹介します。

 

高校卒業後、上京して新宿を拠点に青春時代を送った中上健次は、歌舞伎町やゴールデン街、ジャズバーに入り浸って、酒・ドラッグ・ジャズにまみれた日々を送りました。

夜な夜な飲み歩く中上は、深夜3時に知り合いに電話をかけて叩き起こしては飲みに誘う、そんなことを平然とやらかしてしまう、そんなタフな一面も持ち合わせていました。

 

もし身近にそんな人がいたら面白そうですけど、やっぱりちょっと迷惑ですよね。

酒浸りの中上は、親しくしていた編集者と飲んでいた時、酔っ払ってビール瓶で殴って十数針も縫うケガをさせてしまったこともあります。

 

そんな事件、今なら炎上ものですよね。そう考えると、まるで時代までもが中上健次に味方していたわけですね。

こんなエピソードばかりだと、「中上健次って、乱暴者のヤバい奴!?」と思われてしまいそうですが、そんなことはありません。彼はたしかに豪快な一方、人間への優しく温かい一面も持ち合わせていました。

 

たとえば、全共闘世代をテーマとしたこちらのシンポジウムでの中上健次の(貴重な!)言動を見ると、彼がいかにも人間味の豊かな人物であることがわかります。

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他にも多くの人々によって、彼の人間らしい姿は語られているのです。

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そう、中上健次は現代人が忘れてしまった大切な何かを思い出させてくれる、重要な文学者なのかもしれません。

 

実際に中上健次と交流のあった作家仲間や文壇関係者は、彼を「矛盾する二つの性質を持つ作家」だと言います。豪快さと繊細さ、マッチョさとナイーブさ。あるいは生まれ育った土地・紀伊半島の南端に位置する海と山に囲まれた新宮をこよなく愛しながらも、東京は新宿に骨の髄まで浸かる青春時代を送ったり、後には日本に留まらず世界中を訪れたり、真の意味でグローバルな作家として活動を続けました。

 

真逆のもの、という意味では、ジャズ好きで知られた中上健次ですが、彼は同時に演歌も大好きだったのです。ちなみに、中上健次の「推し」は、都はるみさんでした。興味がある方は、ぜひ聴いてみてくださいね。

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【合法的にトべる、極上の陶酔? 中上健次ワールドをご紹介】

読む者を惹きつけてやまない、力強くユニークな文体と、その文体に勝るとも劣らない艶かしい物語内容で一躍有名になった中上健次

 

彼は自身の生い立ちなどの実体験をベースにした小説を数多く執筆したことで知られていますが、芥川賞受賞作の『岬』や、同作を含めた3部作『枯木灘』『地の果て 至上の時』の他にも名作が盛りだくさん。今回はその中から、異色の短編集『重力の都』を紹介したいと思います。

 

複数の文芸誌に、7年間にわたって掲載された6編の短編を収録した『重力の都』。その中で最も早い時期に発表された表題作「重力の都」の冒頭をご紹介します。

 

朝早く女が戸口に立ったまま日の光をあびて振り返って、空を駆けて来た神が畑の中ほどにある欅の木に降り立ったと言った。朝の寒気と隈取り濃く眩しい日の光のせいで女の張りつめた頬や眼元はこころもち紅く、由明が審かしげに見ているのを察したように笑を浮かべ、手足が痛んだから眠れず起きていたのだと言った。女は由明が黙ったままみつめるのに眼を伏せて戸口から身を離し、土間に立っていたので体の芯から冷え込んでしまったと由明のかたわらにもぐり込み、冷えた衣服の体を圧しつけてほら、と手を宙にかざしてみせた。どこに傷があるわけでもないが、筋がひきつれるような痛みが寝入りかかると起こり出して明け方まで続いたと女は由明に手を触わらせた。

 

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いかがですか?長いですが、これが改行もなし、たった一段落に凝縮されているのです。

 

独特の息の長い文体は、くらくらとめまいがするほどの力強さがありますね。それに、ジャズのリズムが骨まで浸み込んだ中上健次ならではの、どこか心地よいリズムも感じられます。

 

現在活躍している作家では、金井美恵子さんや、独特のユーモアが光る記者会見で話題を呼んだ蓮實重彦さんの文体も、中上の艶かしい文体に似ているものがあります。

 

ちなみに、この短編集の「あとがき」には、収められた作品が文豪・谷崎潤一郎への強烈なオマージュであると語られています。実際、谷崎潤一郎の小説にも、文体の美しさを極めんとした作品がいくつもありました。中上はそうした谷崎の文学性へのリスペクトとして、これらを執筆したのかもしれませんね。



〈まとめ〉

いかがでしたか?

時代を駆け抜け、時代を築き上げた中上健次ですが、最期は46歳の若さで腎臓癌によって、この世を去ります。しかしその後も現在に至るまで読み継がれ、もはや日本文学史上になくてはならない存在となりました。

中上健次亡き後、いまだ彼を超える作家は現れていないでしょう。

多くの人に「最後の近代文学者」として名残惜しまれる中上健次の作品を、ぜひ読んでみてくださいね。